カフェの国・フランスの茶文化とその歴史。


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フランスを代表する飲み物と言えば、カフェ・オ・レやエスプレッソ。月並みですが、パリのオープンテラスカフェで濃いコーヒー(エスプレッソ)を飲む、というのが日本人にとってのフランス人のイメージではないでしょうか。それだけに、フランスとお茶が結びつかない方も多いことでしょう。さてさて、そのイメージは正しいのでしょうか!?今回はフランスの茶文化についてお届けします。

1.カフェの国・フランス!

イギリスが紅茶の国と言われるように、フランスはコーヒー(カフェ)の国と言われています。朝はクロワッサンと一緒にカフェ・オ・レを飲み、昼はゆっくりランチを楽しんだ後エスプレッソを飲み、夜はディナーと共にワインを楽しむ。フランス人にとって、カフェは生活の一部になっていると言えるでしょう。しかし、実はフランス、イギリスより先にお茶と出会っていた国なのです。18世紀ごろにはフランスも東洋からお茶(最初は緑茶、後に紅茶)を買い付けていたのだそう。ところが、イギリスが世界の紅茶を独占するようになり、フランスはコーヒーにシフトすることになりました。このような背景でコーヒーが主流になったフランスですが、実はイギリスより歴史ある茶文化を持っているとも言えるのです。

【カフェとは違う!?サロン・ド・テ】

フランスでは、「カフェ」とは別に「サロン・ド・テ」という業態のお店があります。これは英語で言えば、ティー・サロン。18世紀のフランスにおいて、カフェは政治家・哲学者・芸術家などの情報交換の場として使われていました。そのため女性が自由に出入りすることができず、カフェとは異なるおしゃべりの場を求めたのです。そうして生まれたのが、サロン・ド・テ。貴婦人たちが甘いお菓子と一緒にコーヒーよりずっと高価な紅茶を楽しんだこともあって、紅茶は「少し気取った飲み物」と位置付けられるようになりました。そして現代のフランスでは紅茶の消費量が伸び、サロン・ド・テも活況だと言います。

【嗜好品としての紅茶!フレーバーティー】

平時から頻繁にティータイムを取るイギリス人とは異なり、フランス人にとっての紅茶は嗜好品。それだけに、味や香りに制限のあるストレートティーより、香料や花びら、果皮などで香りを付加したフレーバーティーが好まれます。紅茶分野に限らず、フランスは「香り」の文化が発達した国。南東部に位置する「香水の都」グラースでは、ラベンダー、ジャスミン、ミモザなどの香料植物が生産され、また世界的に有名な調香師を多数輩出しています。このような背景もあり、フランス独自のフレーバーティー文化が確立されているのです。そして1990年ごろにはフレーバーティーが特に流行し、さらに色々な種類のお茶が飲まれるようになりました。

【フランスの代表的な紅茶ブランド】

フレーバーティーの分野で大きな強みを持つ国、フランス。それだけに、香りや水色にこだわった人気紅茶ブランドがたくさんあります。日本でもおなじみの世界的ブランド、マリアージュフレール。アップルティーで名高いフォション。ロシアの皇帝も愛したクスミティー。前身は香料メーカーであり、マリーアントワネットにもアロマを献上していたニナス。これらは、いずれも100年以上の歴史を持つ老舗。紅茶好きな方なら、ご存知なのでは!?

2.紅茶とフランスの歴史。
フランスにお茶が伝わったのは1636年。イギリスへの伝来が1650年ですから、14年も早く伝わったことになります。しかし、王族たちの後押しを受けて植民地での紅茶栽培が意図的に進められたイギリスとは異なり、フランスはコーヒー(カフェ)先進国へと歩んでいきます(例えば、ドリップ式コーヒーを発明したのはフランス人のド・ベロイという人でした。それまでは豆を臼で砕いて煮だして上澄みを飲むトルコ式や、粉を入れた袋を湯につけて浸みださせる浸漬式で飲んでいたそうです。このように、フランスはコーヒーの発展において色々な創意工夫をしてきた国なのです)。とはいえ、お茶にまつわるエピソードが一切ないわけではありません。フランス茶文化の一旦を紐解いてみましょう。

【紅茶?コーヒー?ルイ14世の時代】

フランスにおいて、最も早い時期にお茶を飲んでいたのはルイ14世だと言われています。ルイ14世は、ブルボン朝第3代のフランス国王。ベルサイユ宮殿を建てたことでも知られている、フランスにおける権力と栄華の象徴とも言える存在です。ところが、ルイ14世は消化器官に難があり、四六時中トイレにこもっていたのだとか(ひどい時は臣下への命令も便座からしていたそうです)。そこで1665年、医師たちは「消化の助けになる」とお茶(当時は緑茶)を処方しました。中国や日本では痛風や心臓障害で苦しむ人が少ないこともあり、当時お茶は「万能薬」だと考えられていたのです。しかし1669年、オスマン・トルコが外交手段のひとつとしてコーヒーを献上したことにより、フランスはコーヒーの国へと変貌していきます。輸入ルートの確立や植民地栽培によってコーヒーが安価で販売されるようになり、庶民にまで急速に普及されることとなりました。ルイ14世もコーヒーを愛飲するようになったそうです。

【フランス流紅茶芸術・マリアージュフレール】

フランス語で「マリアージュ」と言えば「結婚」ですが、マリアージュフレールの「マリアージュ」は「マリアージュ家」という意味。フランス紅茶の歴史は、「マリアージュ家なしでは語れない」と言われます。また、「フレール」の意味は「兄弟」と「香り」。「マリアージュ家の兄弟が創始した会社」という意味であり、フレーバーティーがフランス紅茶の代名詞となっているのも運命だと言えるのかもしれません。1660年頃、ニコラ・マリアージュはルイ14世の命令でペルシャとの通商条約を結ぶためしばしば同地に赴きました。そして共に事業を行っていた弟のピエールによってお茶が伝えられたことが、フランス茶文化の始まりと言われています。その後、1854年に二コラ・ピエール兄弟の子孫であるアンリ・エドゥアール兄弟が、フランス初の茶類輸入会社「マリアージュフレール社」を設立。コーヒー文化が浸透していた当時のフランスにおいて、厳選された茶葉を取り扱うことで上流階級への紅茶の知名度を上げていきました。また、同兄弟によってお茶の味わいが研究され、マリアージュフレールは「フランス流紅茶芸術」と呼ばれるほど文化として定着していきます。

(まとめ)

フランス茶文化のお話はいかがでしたか?このブログではお茶にスポットを当ててお話ししていますが、お茶の歴史は世界史と密接につながっているもの。例えばトルコからヨーロッパにコーヒーが伝わったことには、イスラム教とキリスト教の関係が背景にあります(ローマ教皇の許可がなければキリスト教圏でイスラム文化を普及させることができません)。また、各国の植民地がどこにあったのかによっても茶文化の発展は大きく変わります(例えば、砂糖の大量生産ができるカリブ海の島々を植民地にしていた国でなければ、ミルクティーを広く普及させることができません)。歴史を知れば、お茶の深みも一層増すでしょう。ルイ14世の時代に思いを馳せながら、フランス紅茶を楽しんでみるのはいかがでしょうか。