なぜ静岡県がお茶の名産地になったの?その経緯を紐解きます!


日本一の茶所として有名な静岡県。農林水産省によれば、令和3年の荒茶生産量のトップは静岡県。生産量は全国の42%を占め、ついで鹿児島、三重と続きます。もはや静岡県といえばお茶、というくらいお茶のイメージが定着している静岡県ですが、なぜ名産地となるまでに至ったのでしょうか。そこで今回は、静岡県がお茶の名産地になるまでの経緯をご紹介していきます。

参考:農林水産省 令和3年産茶の摘採面積、生葉収穫量及び荒茶生産量(主産県)

日本にお茶がもたらされたのは平安時代

 

日本における「お茶」のはじまりは平安時代とされています。遣唐使が唐から持ち帰ったことが由来とされ、当時は飲料ではなく、薬として飲まれていました。また、この「お茶」とは「抹茶」のことで、現代の日本人に馴染み深い「緑茶」は、後述する明治時代に普及します。

 

薬として飲まれていた記述は鎌倉時代に成立した歴史書「吾妻鏡」に残っており、当時の将軍源実朝が二日酔いに苦しんでいると、日本臨済宗の開祖とされる栄西が、お茶の効能について記録した「喫茶養生記」とお茶を将軍に贈った・・・・・・という記載が確かに残っています。当時のお茶は一部の上流階級が薬として飲むことが多かったようです。

 

静岡県にお茶がもたらされたのは鎌倉時代

ちなみに、静岡県にお茶がもたらされたのは鎌倉時代とされ、駿河国(現在の静岡県中東部)の僧が留学先の宋からお茶の種を持ち帰り、栽植したのがはじまりだと伝えられています。

 

静岡県がお茶の名産地になった理由① 気候に恵まれていた

作物を育てるためにはそれぞれ適切な気候があることは、皆さんもご承知のことでしょう。温暖多雨の地域だからこそ育ちやすい作物もあれば、寒冷小雨の気候だからこそ育ちやすい作物もあります。一般的に、お茶は温暖多雨の気候下で育ちやすいと言われています。静岡県、ひいては東海地方は熊野灘や遠州灘を流れる黒潮の影響で、四季を通じて温暖な気候です。

 

また南海上から暖かく湿った気流が入りやすいため雨が多く、まさにお茶の栽培に適した気候だったため、静岡県は他の地域より質の良い茶葉を大量に生産できたと言えます。気候に恵まれていたのは、名産地となる上で大きなポイントだったでしょう。

 

静岡県がお茶の名産地になった理由② 交通の便が良かった

江戸時代に入ると、宇治茶栽培農家であった永谷宗円によって「青製煎茶製法」が確立され、現在にも通じる煎茶の製法が普及したこともあって、武士だけではなく、庶民にも広くお茶が普及するようになりました。

 

その中で東海道は交通の要地として整備され、参勤交代で交通量も増える中宿場施設も整備されていき、主要道路として多くの荷物が行き交いするようになります。静岡県はその主要道路であった東海道にも近く、首都である江戸に頻繁にお茶を出荷できるようになったことも、名産地となる大きなポイントと言えたでしょう。

 

静岡県がお茶の名産地になった理由③ 大量生産・大量出荷が可能になった

江戸時代が終わり、職を失った武士たちは新たな職を探しはじめます。静岡県では職を失った元藩士たちが、牧之原台地の開拓を開始しました。

牧之原台地は現在でも日本1位の製茶地帯ですが、その広大な面積に伴い緑茶の生産量も増え、明治時代に入ると、国内だけではなく、国外にもお茶の出荷が始まります。

当時生糸とあわせて日本茶は二大輸出産業であり、静岡県は横浜港に近いこともあって、安定的な生産量を誇りながら出荷できたため、静岡県はさらに名産地としての地位を確立していったのです。

 

<まとめ>

そして現在、静岡県は日本一の茶所としての地位を確立。ですがそれに甘んじることなく、品種改良を続け、新たなお茶製品にも着手しています。

お茶と言えば「やぶきた」が有名ですが、現在はその「やぶきた」と天然玉露といわれる「あさつゆ」を交配し、すぐれた品質である「さえみどり」が誕生しています。

大井川茶園でも「さえみどり」を取り扱っているほか、ノンカフェインのお茶やインスタントのお茶など、ニーズに合わせてさまざまなお茶を取り扱っておりますので、ぜひお手に取って味を確かめてみてくださいね。

さえみどり

ノンカフェインのお茶

インスタントのお茶